Ich bin steindumm

2013/11/21 「監視カメラ作動中。請微笑」

 11月15日-16日、国立台湾大学(台北市)でおこなわれた国際会議Fourth Internatinal Symposium on European Languages in East Asiaに出席していきました。テーマは台湾語をそのまま引用すると、「藝術、音楽、文學、於歐洲研究中之地位 ―跨文化溝通中的批判性論述」で、「跨文化溝通中的」とある通り、ヨーロッパをCross Cultural Communication的に考察するものです。もちろんわたしを始め出席者の大半は台湾語が話せませんから、会議はすべて英語でおこなわれました。出席者の母語も、台湾語、日本語、韓国語、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語と様々で、それぞれの専門分野である、文学、語学、教育法、文化学、建築学の視点から科学と文化を「跨ぐ」セッションが繰りひろげられました。ここでは特に文学と建築学に限って、シンポジウムの素描をしたいと思います。
 日本から出席された大芝芳弘先生(首都大学東京)は「ラテン文学における創造的模倣」について話されました。「創造的模倣」とはまったくの形容矛盾ですが、古典古代期には「模倣」は「創造」以上に重要な文学的創作の技法でした。しかし、模倣(ミメーシス)の芸術的意義はギリシアの哲学者によって理解が異なります。プラトンは、そもそも詩そのものを混乱した情動を引き起こす危険なものとして敬遠していましたが、アリストテレスは演劇を模倣と創造の最も効果的な形式として評価しました。後者は興味深いことにプロットにある程度の自由な創作を認めていました。古典期のローマでは模倣はたんなる借用ではなく、詩人の個性によって新たな創作境地を開くための技法でなくてはならず、それゆえまた先行作品と技を競う訓練の場でもありました。それはまた模倣が教育的意義を担っていたことと関係しています。「ミメーシスとは技能的原理を通して範型となるものを再度創りだすことであり、真似とは美しいと思われるものに接し感銘を受けた魂の活動性である」とDionysius Halicarnasseusも言っています。ホラチウスやヴェルギリウスといったローマの作家が、先人の偉業どのように向きあったかを知るための、重要な発表でした。
 古典学からはもう一人韓国のキム・ヘオン(Kim Heon)先生(ソウル大学)の発表がありました。ヨーロッパ哲学の源流はソクラテス、プラトン、アリストテレスに求めるのが常識ですが、彼らが愛する「知」(sophia)は「すべての特殊性を包含する普遍的原理の知識」(アリストテレス)です。こうした知のあり方に明確に反対したのがイソクラテスです。彼はアリストテレスの普遍知(エピステーメー)に対して、意見(ドクサ)を立てます。ドクサとは、プラトンがイデアを見ることができない下位の知としたもので、一般に思い込みや「臆見」といった否定的な訳語が当てられています。確かにこれは個々の事態からそのつど導かれる、時間と場所に制約された知恵ですが、イソクラテスはこれに対話的、共同体的な機能を見て評価しています。つまりドクサは、無情況的・無時間的なエピステーメー以上に、演説や政治や教育の実践の場でより効果的な役割を果たすのです。こうした別のソフィアの伝統がギリシアにあったという指摘は刺激的でした。
 文学の分野では同じくソウル大学教授のキム・イームク(Kim Ihmku)先生が意欲的な解釈理論を提案されました。彼はわたしの永年の友人ですが、いよいよソウル大学教授かと思うと感慨深いです。彼は陰陽の思想とハイデガーの「憂慮」とWalter Falkの文学理論を基礎に、文学作品の「三成分分析法」(Three Component Analysis)を提案します。文学が描く世界は、現実と可能と革新の三つの成分に還元できるというのです。これは作品理解を容易にするためだけではなく、文学を教授することが「知性の方向づけと実践的動機づけ」を目的にしているという彼の信念によるものです。テクストを理解することは単にフィクションを理解することではなく、人が出会う他者と世界の理解を意味します。ドイツの現代作家Wolfgang Herrndorfの作品を分析しながら紹介されたこの分析法は、大学における文学教育の意味を再確認させる、スケールの大きい提言を含んでいました。
 もう一つ興味深い発表は、台湾の謝志偉先生(東呉大学)の“Walking by Night“「走在暗夜」で、18世紀以降文学に頻繁に登場する「幽霊」についての考察です。ゲーテの「魔王」や、E.T.A. ホフマンやTh.シュトルムの「ドッペルゲンガー」や、ヴィクトル・ユーゴの「レ・ミゼラブル」には得体の知れない存在が重要な意味をもって描かれています。理解し得ないものが存在するという意識はしかし、文明以前にもあったはずですが、それらは幽霊とは感じられず、それらが無気味なものになったのは、啓蒙主義が理性による世界の解明を推し進める過程で生じた皮肉な現象です。これはフロイトが、それまでは見慣れたものが、あるとき突然見知らぬものに見えてくることが「無気味さ」なのだとしたことと符合しています。闇に対する恐怖が理性主義の生んだ感情であることを雄弁に語る発表でした。
 建築学という不慣れな分野でしたが、台湾の許家琳先生(中央研究院)の発表「古典的建築教育と台湾におけるその実践」は、日本と台湾が西洋建築を通して強い繋がりをもっていたことを教えてくださいました。明治政府がイギリス人建築家Josiah Conderを顧問として招き、そのもとで学んだ辰野金吾が日本における西洋建築のパイオニアになったことは知られています。東大教授でもあった辰野のもとで学んだ福田東吾や野村一郎や森山松之助や井手薫がその後、当時植民地であった台湾へ出向き、多くの建築物を設計します。いまも台湾に多く残るネオクラシック様式の建物はこうした建築家たちの作品です。たとえば現在の台湾総督府は森山の設計によるものですし、台湾大学の古い校舎も日本人によって設計されたものです。恥ずかしながら、台湾大学が旧帝国大学であったことをこの発表を通して初めて知りました。この日は折りしも大学創立85周年記念日で、校内は開学を祝うイベントが行われ、賑わっていました。
 国際会議の翌日17日には特別プログラムとしてGerman Workshopが開かれ、台湾のドイツ語学文学研究者にplease smileよるセッションがおこなわれました。国立台湾大学のChristian Hein先生は、中国や台湾がドイツ文学や思想の中に歴史的にどのように受容されてきたかについて報告され、型にはまったショーヴィニズムから文化的相対主義への移行の可能性を示唆されました。また、Monika Leipelt-Tsai先生(国立政治大学外語学院)のエルゼ・ラスカ=シューラーの東洋受容の問題を扱った発表や、張守慧先生(文藻外語大学)のイッディシュ文化についての発表、簡潔先生(国立台湾大学)のヘルタ・ミュラーの作品解釈など、盛りだくさんな内容で、台湾のドイツ語学文学研究の層の厚さに圧倒されました。
 台湾で英語でヨーロッパ学について議論するというのは最初は大変奇妙な企画だと感じましたが、自分自身日本のゲルマニストとして特異な立場で研究しているのだということが実感できたように思えます。そうした特殊性の中で自分に何ができるのか問いかけるよい機会になりました。また少しずつ偉くなっていく旧友たちに再会できたのもこの上ない喜びでした。台湾の研究者も学生も温かく、大学には心なごませる雰囲気がありました。大学図書館のエントランスで見つけた「請微笑」という張り紙は忘れられません。探知機の前でなぜ微笑むのか?その理由を学生に聞くと、その上に「監視カメラ作動中」と書いてありました。いいですね。こういうユーモアの生きている国、大好きです。

 

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