中世ヨーロッパの文学と思想を主な研究対象にしていますが、現代の文学や哲学にも興味があり、折にふれて書いています。
これまで公表した研究成果です。一部はダウンロードできますし、国立情報学研究所の論文検索サイトCiniiで読むこともできます。
『マイスター・エックハルト 生涯と著作』、創文社 2011年、435頁。
「本書が描くのは、最新の研究成果をもとに書き下ろされた新しいマイスター・エックハルト像である。ここ十余年のあいだにエックハルト研究は劇的に変化した。それは全集がほぼ完結したことを受けて、文献学的に信頼できるテクストの精読と、社会史的な観点からのドイツ神秘思想の定位が可能となったからである。神秘家の思想形成に大きな役割を担ったエルフルト時代についての本書での考察は、修道院長であり思索家であった初期の活動を余すところなく明らかにし、また最も活動的であったシュトラースブルク時代の教会史的考察は、彼を晩年襲った異端疑惑の真相を解明した。さらにパリ大学でのアリストテレスをめぐる論争や、ケルン高等神学院でのアルベルトゥス主義が神秘思想と綾なすスリリングなコラボレーションは、中世思想の醍醐味を感じさせる。」(広告文より)
マイスター・エックハルト 『ドイツ語説教集』、(『ドイツ神秘主義叢書』(上田閑照・川﨑幸夫監修)第2巻)、訳註・解説I/II担当、創文社 2006年。
解説I「エックハルトが出会った人々」:最新の研究成果をもとにエックハルトの生涯と著作の成立を再構成したバイオグラフィー。
解説II「エックハルトの銀河系」:19世紀のおける再発見から、20世紀の哲学者(ショーペンハウアー、ニーチェ、ハイデガー等)、文学者(ムージル、中野孝次等)によるエックハルト受容の動向を論じた。
マクデブルクのメヒティルト 『神性の流れる光』、『ドイツ神秘主義叢書』(上田閑照・川﨑幸夫監修)第1巻、408頁、創文社 1999年。
『中世思想原典集成』 第16巻(ドイツ神秘思想)(木村直司監修)、平凡社 2001年、(① 作者未詳『ザンクト・トルートペルトの雅歌』p.23-39、② アウクスブルクのダーヴィト『祈りの七つの階梯』 p.61-84、③ 同 『主の祈り』 p.85-106、④ レーゲンスブルクのベルトルト『説教二 五つのタラントンについて』 p.107-135、⑤ 作者未詳『シュヴァルツヴァルト説教集』p.137-149、⑥ グリュンディヒのエックハルト『能動知性と可能知性について』 p.431-451
⑦ リンダウのマルクヴァルト『十戒の書』p.725-742、⑧ 同 『ドイツ語説教集』 p.743-760.)
書評:C. Stephen Jaeger: Enchantment. On Charisma and the Sublime in the Arts of the West, Philadelphia, University of Pennsylvania Press, 2012への書評.
『Arbitrium : Zeitschrift für Rezensionen zur germanistischen Literaturwissenschaft』 31 (2013), p. 154-161.
書評:Hee-Sung Keel, Meister Eckhart. An Asian Perspective. – Louvain a. o.: Eerdmans 2007. 319 S., € 29,99 ISBN: 0-8028-6255-6への書評、『Theologische Revue』、Nr. 6 (2012)
「エックハルトを裁くトマス・アクィナス」、『創文』 春No.5(2012)、p. 1-3.
「紫式部とメヒティルト」、『創文』 2008年1-2月号、P. 40-44.
「ヘンゼルと千尋」、『Echo』(DAAD友の会)、No. 20(2004)
「物象化する世界から変容する像」、『べりひて』(日本ゲーテ協会) 第42号(2001)、 p. 23-29.
「女性神秘思想と身体性 ―マクデブルクのメヒティルト『神性の流れる光』」、『創文』 2000年5月号、 p. 16-19.
学会発表「『わたしは若木のような新たな姿となって星々にのぼっていく』―古代から中世にいたる「死と再生」の形象について」、日本独文学会秋季大会・シンポジウム「再生―進歩―生存。ドイツ思想史における『超人間化』」、中央大学 2012年10月14日。
「Wütende Frauen - weinende
Männer. Zur Inszenierung der negativen Gefühle in der mittelalterlichen mystischen Literatur」、Keio-JSPS-Kolloquium 「Emotionen im Mittelalter」、慶應義塾大学 2012年1月29日。
「"Musst du dein Leben ändern?" Einige Gedanken zur Idee der Menschenreform von der mittelalterlichen Mystik bis zur Gegenwartsphilosophie」、フライブルク大学(スイス)招待講演、Université de Fribourg 2011年4月19日。
「«unseren herren gelüstet, daz er in dem und mit dem menschen wone». Reflexionen über die Reden der Unterscheidung Meister Eckharts und die Stadtgeschichte von Erfurt」、マイスター・エックハルト学会国際シンポジウム (エルフルト)「Meister Eckharts Reden für die Stadt」、Augustinerkloster zu Erfurt 2011年4月15日。
「überwindung der zweiten Natur. Zwei Rezeptionsmodelle der Aristotelischen Gewohnheitslehre in der mittelalterlichen Philosophie」、慶應-学振国際シンポジウム『ヒューマン・プロジェクト』「Fragwuerdigkeit Mensch」、慶應義塾大学 2010年11月5日。
「Die Dominikaner-Franziskaner-Konstellation im Prozess Meister Eckharts」、マイスター・エックハルト学会国際シンポジウム(マインツ)「Mystik, Recht und Freiheit」、Akademie der Diözese Mainz 2010年9月11日
パネルディスカッション「魂の根底をめぐって-エックハルト、タウラー、リュースブルク」(コメンテーター)、日本宗教学会第67回学術大会、筑波大学 2008年9月14日。
「Synderesis: ein Wissen vor der Erbsünde. Zur Genealogie kognitiver und affektiver Moralwerte im europäischen Mittelalter」、立教大学フンボルト・コレーグ「Form des Wissens」、2008年3月15日。
「Synthese von Nähe und Ferne ― Kulturhistorische überlegungen zu drei Modellen der Gastfreundschaft im europäischen Mittelalter」、第49回日本独文学会文化ゼミナール「Die Figur des Gastes - weder Feind noch Freund」、蓼科アートランドホテル 2007年3月20日。
「Nihilismus und Utopismus. Die Reichweite der antiken und mittelalterlichen Endzeitmythologie in das Denken des 20. Jahrhunderts」、第48回日本独文学会文化ゼミナール「Endzeit-Zeitenden」、2006年3月20日。
「Schmerzempfindlichkeit und Körperwahrnehmung im Mittelalter」、フンボルト・コロキウム「Kulturfaktor Schmerz」、東京大学 2005年9月29日。
「出会いと闘争の場としての神秘思想」、国際宗教学宗教史会議第19回世界大会、高輪プリンスホテル 2005年3月。
「『主は人間のなかで、人間とともに住まうことを喜び給う』―マイスター・エックハルトの思想形成と都市エルフルト」、日本独文学会秋季大会、北海道大学 2004年10月。
「中世の習慣論 ―ハビトゥスの復権と個の覚醒」、日本独文学会秋季大会、信州大学 2002年10月。
「Abgeschiedenheit und Habitus. über den Entstehungsprozeß der Leitgedanken Meister Eckharts」、第10回国際中世哲学会(SIEPM)、Erfurt 1997年8月。
「文法教師フーゴーの反論 ―ヨーロッパ中世における大学教育と倫理教育の葛藤について」、日本独文学会春季大会、慶應義塾大学 1997年5月。
「Die mystische Theologie Meister Eckharts und die Stadtgeschichte von Erfurt」、Symposium "Seminaire de 3è cycle 1994“ 、Lausanne大学 1994年2月。
「Meister Eckhart研究の新しい動向」、日本独文学会春季大会、学習院大学 1993年5月。
「エックハルトにおける“bilden“」、日本独文学会秋季大会、金沢大学 1984年10月。
「Sprachwissenschaftliche Untersuchungen zur "Rechtfertigungsschrift" Meister Eckharts」、1994年3月 広島大学
「Meister Eckhart in Erfurt. Studien zu den sozialen und gedanklichen Hintergründen der "Reden der underscheidunge"」、1997年11月 スイス・フライブルク大学
学術論文「Köln - Toulouse - Avignon. Die Verurteilung Meister Eckharts im Kontext der thomistischen Tradition in Südfrankreich」、『Mystik, Recht und Freiheit. Religiöse Erfahrung und kirchliche Institutionen im Spätmittelalter』、 hrsg. von Dietmar Mieth und Britta Müller-Schauenburg, Stuttgart (Kohlhammer) 2012、p. 96-122.
マイスター・エックハルトの異端宣告は、従来、断罪に関わった個人の宗教的・政治的利害から論じられることが多かった。本稿では、14世紀中葉の南フランスで主としてドミニコ会のトマス主義者たちが、アヴィニョンの教皇庁を中心として、トマスの復権と列聖を目指して活発に活動していたことに注目し、また同時に彼らのなかに、南フランスの異端集団であるカタリ派への強い反発が存在したことを指摘しながら、こうした活動がエックハルトの断罪に大きく関わったことを指摘した。
「真理を語る真理 ―マイスター・エックハルトの神秘的聖書解釈―」、『イスラーム哲学とキリスト教中世』、第3巻(神秘哲学) 竹下政孝・山内志朗編、岩波書店 2012年、305-330頁。
マイスター・エックハルトは一宗教家の枠を超えて、中世ヨーロッパの宗教現象とも呼ぶべき存在となったが、それは彼が、歴史が中世から近世へと舵を切る大きな転換期を生きた思想家であったことによる。ドイツ宗教史でルターと並び称される思想家が、過酷な時代環境の中でおこなった聖書解釈には、様々な点で革新的要素が含まれている。本稿は、修道士教育と、大学教育と、民衆教化の現場で、エックハルトが果たした真理の語り部としての役割を考察する。
「Japanese Philosopher Tetsuro Watsuji (1889-1960). His Cultural Anthropology and His Buddhist Thinking」、『Buddhism and Buddhist Philosophy in World Literature』、edd. Pornsan Watanagura/ Heinrich Detering, Chulalongkorn University (Thailand) 2011、pp. 39-52.
タイ・チュラロンコン大学主催のシンポジウム「Buddhism and Buddhist Philosophy in World Literature」の記念論文集収録。和辻哲郎は『風土』において、ハイデガーの『存在と時間』が「場」の論理を欠いていることと、彼の哲学が「個」の実存に関心を向けるだけで、共同体的人間観を欠いていることを批判した。和辻が大乗仏教の「自他不二性」に現れている、個と他の否定的結合によって、ハイデガー的な「人」(man)の無名性を越えようとしたことを論じた。
「美徳の装い ―ドイツ中世の教育文学におけるイメージとハビトゥス―」、『西洋中世研究』 (西洋中世学会)、第3号(2011)、p. 51-65.
本論考は、階級を異にする作家によって書かれた、中世叙事詩と教育詩において、ドイツ語の徳(Tugend)概念がどのように理解されているかを分析した。ゲルマン神話に由来する『ニーベルンゲンの歌』では、徳は身分に固有なものであるが、中世後期の都市市民によって書かれた『トリスタン』では技能を得ることが徳と捉えられる。その他に『グレゴーリウス』と『イタリアの客』を例に、倫理的価値がイメージとなって、記憶の中で習慣化されることを論じた。
「エクフラーシス ―中世ヨーロッパ文学における絵のない絵本―」、『藝文研究』 (慶應義塾大学) 第98号(2010)、p.144-161.
欧米の文学研究で近年注目を集めているテーマに「エクフラーシス」がある。これは言語による絵画や道具の描写法で、1950年代から修辞学から独立した独自の文学ジャンルと認められるようになった。Hagstrumらによる先駆的研究は、絵画や造形美術品を言語で描写することに、特別な詩的効果があることを認めたのである。本論では『イーリアス』を初めとし、『トリスタン』、『エーレク』といった中世叙事詩において、この技法がどのような意味をもっているのかを論じた。
「Synthese von Nähe und Ferne. Kulturhistorische überlegungen zu drei Modellen der Gastfreundschaft」、『Figuren des Transgressiven』、hrsg. von K. Omiya, München (日本独文学会/ iudicium) 2009、 p. 235-251.
客人歓待」という古代からの美徳が、中世の文学的・社会的・宗教的コンテキストの中でどのように形成されていったのかを論じた。社会史的にはこの美徳は古代ギリシア時代から遠方交易の発展と結びついて、商人の旅の安全を保証する規則であった。これは文学的にはシュタウフェン王朝に書かれた中高ドイツ語による叙事詩において失われた価値として描かれている。これは、宮廷社会の崩壊と都市市民社会の興隆によって社会的モラルが新しい形を模索したことを意味している。このことはまた宗教的にもあてはまる。ベネディクト会則に現れた理想主義的コスモポリタニズムが都市の成立によって商業的な功利主義にのみこまれ、客人歓待の理想も変容していったことを論じた。
「革命とハビトゥス ―メーヌ・ド・ビランの『習慣論』とフランス・スピリチュアリズムの伝統」、『19世紀学研究』 (新潟大学) 第1号(2008), p. 64-76.
1799年メーヌ・ド・ビランがフランス学士院の懸賞論文に応募した『習慣論』は、高い評価を受けた。彼は習慣を受動的習慣と能動的習慣に分け、それらを「記号」「感覚」「印象」「知覚」「記憶」といったキーワードで解明しようとした。習慣論は記号論と彼の主意主義の融合地点にある。また彼の思索に大きな影響を与えたもう一つの思潮に生気論がある。本論では生気論の代表者X・ビシャ『生と死の生理学的研究』(1800年)とビランの親近性と相違点を論じた。
「Schmerzempfindlichkeit und Körperwahrnehmung in den klösterlichen Gnadenzetteln und bei Margaretha Ebner」、『Kulturfaktor Schmerz』、 hrsg. von Y. Hirano/Ch. Ivanović, Würzburg (Königshausen und Neumann) 2008、 p. 85-98.
アリストテレスは痛みを倫理学の枠内で詳述したが、中世になると痛みはほとんど神学的な苦痛に限定され、現象としての痛みは文学的にあつかわれることはなかった。本論では、まず前半で、中世の巡礼寺院に残されたいわゆる巡礼者帳に記された病気の記述から、中世人たちが身体的苦痛をどのように知覚したかを論じた。後半では、中世の女性神秘家マルガレータ・エーブナーの日記『啓示』が描く精神的苦痛を分析し、それらが現代でいう精神症、とりわけ失語症と近い関係にあることを証明した。
「ヨーロッパ古代から中世における身体観とハビトゥス(習慣)の変遷」、『藝文研究』(慶應義塾大学) 第93号(2007)、 p. 61-81.
ドゥルーズやブルデューによってハビトゥスは現代思想の重要なキーワードとなったが、彼らの主張の出発点となったのはアリストテレスの「習慣(エトス)は第二の天性」という言葉である。そこではエトスは徳形成の第一要因であり、これを踏まえて13世紀に再びハビトゥス論がスコラ学者たちによってさかんに論じられるようになった。本来神的であるべき徳が習慣によって形成されるとされたことには、中世後期において、恩寵論の衰退と「個」の自覚という人間観の変化があったことを論じた。
「マイスター・エックハルトとシュトラースブルクのドミニコ会」、『大東文化大学紀要』 第45号(2007)、p.13-25.
マイスター・エックハルトのシュトラースブルク時代(1313-1323/24)は、彼のそれまでの活動の総決算期であった。説教僧として、教育者として、実務家として、神学者として教団の最重要人物となっていたエックハルトは、この都市で多くの思想的成果を残したが、それはまた同時に宗教界を覆った異端論争の闇に巻き込まれるきっかけを作った。本論考では彼の説教の特質を知るために、都市の市政史・教会史を明らかにし、とりわけ大都市で深刻な問題となっていたベギン修道女に修道士がどのように関わったかを論じた。
「神秘思想の宗教学的基礎づけの試み」、『大東文化大学紀要』 第44号(2006)、p.151-163.
宗教史の周辺現象として位置づけられる神秘思想であるが、同時にそれはすべての宗教に普遍的に存在する重要な思考形態でもある。本稿では、藤沢令夫、R.オットー、M.エリアーデらがあげた神秘思想の諸特性を考察することで、ギリシアのエレウシースの密儀に源泉をもつキリスト教神秘思想が、その後ロゴス主義を経て、中世スコラ学によって体系化されるアリストテレス的伝統と、これに抗する(新)プラトン主義的思潮の間で展開してきたことを論じた。
「『主は人間のなかで、人間とともに住まうことを喜び給う』 ―マイスター・エックハルトの思想形成と都市市民社会―」、『ドイツにおける神秘思想の展開』(日本独文学会研究叢書) 第35号(2005)、p.17-34.
ドイツ中世神秘思想は、大都市を中心に起こった社会改革運動との連関の中でとらえるべき社会思想の一つである。この運動の担い手となった托鉢修道会は既存の教区教会との闘争の中で成長していったが、彼らの活動を支えたのは新興の都市貴族や商工業者たちであった。それゆえエックハルトの教説の中には営利行為を容認し、新しい社会道徳を模索する進歩的主張が多く見られる。「神秘性」とは一見矛盾するエックハルトの思想の社会的背景を論じた。
「20世紀前半の神秘思想論」、『大東文化大学紀要』 第42号(2004)、p.123-130.
宗教史において異端的地位に甘んじていた神秘思想は20世紀にはいると再評価の気運が高まった。それが従来の理性主義に対抗する新たな知的パラダイムの構築に寄与すると考えられたからである。本稿では、ラッセル、ベルクソン、W.ジェイムズの神秘思想論を考察することで、その根底に20世紀の啓蒙主義批判と自然賛美思想があることを明らかにした。
「Krankheit und Vision. Mittelalterliche Frauenliteratur als Medium religiöser Konflikte」、『Neue Beiträge zur Germanistik』 (日本独文学会) Nr.1(2002)、 p.151-165.
中世ヨーロッパの女性神秘家の著作には様々な幻視体験が記録されているが、これらの多くは何らかの「病気」を媒体として得られたものである。本論は神秘的体験を形成する「憑依(ひょうい)」と「病気」の関係を人類学的な視点から説き起こし、これらが女性の政治的・社会的発言の重要な前提となっていることを明らかにした。また彼女たちは宗教体験を正当化するために、精力的な著作活動によって読者の支持を得ようとする。こうした憑依と書字への信頼を、メディウム(霊媒)とメディア(写本)の発展において捉えることで、神秘体験の宗教社会学的意義を強調した。
「アンチキリスト・カタリ・托鉢修道士 ―女性神秘家のみた終末的世界―」、『人文科学』 (大東文化大学人文科学研究所) 第7号(2002)、p.57-78.
中世の終末論は宗教的盲信や政治的イデオロギーの産物と考えられがちであるが、ドイツにおいてはこれが歴史主義と宗教的シンボリズムの出発点となった。本稿では、特に二人の女性神秘思想家、ビンゲンのヒルデガルトとマクデブルクのメヒティルトの著作を例にとって、彼女たちの「黙示的終末観」の中に歴史主義と象徴主義が現れていることを論じた。
「歴史・幻想・ジェンダー ―中世ドイツの終末論とビンゲンのヒルデガルトの黙示文学―」、『人文科学』(大東文化大学人文科学研究所) 第5号(2000)、p.53-77.
歴史意識の高まりにともない、ヨーロッパでは10世紀から世界の終わりについての研究が盛んになり、歴史家たちは聖書に示された預言に歴史的整合性を求めようと努力した。本稿では前半で、終末思想の歴史的展開を略解した後、10-12世紀にドイツを中心に活躍した神学者の終末論を考察し、その思想史における一貫性と特異性を指摘した。後半では、ビンゲンのヒルデガルトの著作を例にとり、中世女性神秘思想の中にも黙示文学の伝統が受け継がれていることを論じた。
「中世ヒューマニズムと大学教育」、『ヒューマニズムの変遷と展望』 未来社 1997年、p.29-51.
本稿の目的は、ヒューマニズムの起源を中世後期に求めた中世史家R.W.サザンの主張を、文化史的視点から再検証しようとしたものである。古典主義への憧憬の背後には、13世紀に顕著になった大学を中心とする科学的実証主義への反発がある。聖職者と並んで古典的教養主義の復活を希求したのがラテン語教師たちであったことを指摘しつつ、現代にまで通じる西欧ヒューマニズムのあり方を考察した。
「『この者は真理に耳をかさず、絵空事に聴き痴れ・・・』 ―マイスター・エックハルトに対する異端宣告勅書『主の耕地にて』の法制史的・思想史的考察―」、『大東文化大学紀要』 第35号(1997)、p.203-223.
1329年3月27日教皇ヨハネス22世は勅書を出し、マイスター・エックハルトを断罪することで彼を巡って4年来係争中であった異端審問に終止符を打った。勅書はエックハルト研究における第一級の資料であり、それゆえこれまで多くの神学者によって論究されてきた。本論では、最初に勅書の全訳をあげ、次にその法制史的意義、さらには異端命題の精神史における位置づけを究明した。
「Mystische Lebenslehre zwischen Kloster und Stadt. Meister Eckharts «Reden der Unterweisung» und die spätmittelalterliche Lebenswirklichkeit」、『Mittelalterliche Literatur im Lebenszusammenhang』、 UP Freiburg/Schweiz 1997、p.225-264.
エックハルトの初期の著作『教導講話』の中に、13/14世紀の新興都市エルフルトの社会的状況が反映されていることを、当時の史的資料を分析することで明らかにした。とりわけ大都市の中で教会改革をおこなう托鉢修道会の長として避けることのできなかった異端問題が、著作に大きな影を落としていることを指摘し、若いエックハルトの思想形成に大きな影響を与えていることを明らかにした。
「Untersuchungen zur Erfurter Schulordnung vom Jahre 1282」、『Zeitschrift für Kulturbegegnung』 Nr.4(1996)、 p.92-104.
中部ドイツの商都エルフルトは同時にテューリンゲン地方を代表する文化都市でもあった。それはこの都市に多くの教育機関が集中していたことからもわかる。聖職者養成のための聖堂付属学校や修道院学校だけではなく、一般市民のための民間学校が林立し、多くの教師と学生が集まっていた。本稿では、1282年に同市が発布した学校令をもとに、既存の学校と市民の教育機関との間の競合や摩擦について、歴史的考察をおこなった。
「Die Gottesgeburt in der Apposition. Untersuchungen zum sprachlichen Eigenwert der Mystik Meister Eckharts」、『ドイツ文学論集』(日本独文学会中四国支部) 第27号(1994)、p.89-98.
神秘思想のテクストで多用される、繋辞をともなわないアポジショナルな文体は、恣意的なレトリックの産物ではなく、その神的世界観の本質的部分を表現している。「魂における神の子の誕生」というエックハルトの基本思想で使われる動詞「産む」(gebären)が、文法上の破型である対格目的語の並列をとりやすいことに注目し、これが彼の神人一体の理念を表現していることを証明した。
「Heinrich Wittenwilerの『指輪』と中世後期の唯名論的思潮」、『ドイツ文学』(日本独文学会) 第89号(1992)、p.78-88.
15世紀の都市市民によって書かれた農民叙事詩『指輪』は、中世の進歩的哲学「唯名論」の強い影響を受けている。それは唯名論のもつ主意主義と経験主義が、この時期に台頭した都市市民社会の新たな理想を、「個」の独立と意志の自由の立場から肯定するものだったからである。文学を創作する行為が、中世後期においては個人の「歴史的自己実現」の手段となっていたことを論じた。
「Sprechakte in der spätmittelalterlichen Liebesdichtung」、『広島ドイツ文学』 (広島独文学会)、第7号(1992)、p.1-16.
サールの「言語行為論」を基礎に、中世後期の恋愛歌謡が実演用の作品として、聴衆への効果を狙った行為的要素を有していること論じた。14世紀に文学が、宮廷的閉鎖空間で生産される時代が終わり市民生活に浸透するにつれ、文学の機能が「修辞的効果」から、直接的な「行為誘発」へと変わっていったことを、さまざまな恋愛文学のテクストを分析して明らかにした。
「マイスター・エックハルトにおける存在と認識の布置 ―前期『パリ討論集』を中心に―」、『Treff-Punkt-Sprache』 (広島大学大学院) 第6号(1987)、p.40-70.
「神は認識である」というエックハルトの『パリ討論集』における命題は、存在論中心のスコラ神学の中では特に異彩をはなっている。この大胆な主張の背景にフランシスコ会の主意主義との葛藤があることを、思想史的・教会政治的な視点から論じた。
「マイスター・エックハルトの神秘思想における科学性について」、『広島ドイツ文学』(広島独文学会) 第2号(1987)、p.53-76.
中世ヨーロッパの神秘思想の担い手は高等教育を受けた修道士たちであった。彼らの思想形成は13世紀初頭に西欧に紹介され、大学の正課となったアリストテレスの自然哲学と密接に関連している。パリ大学教授の経歴をもつエックハルトが目指したものも、聖書の知的理性による解明であることを論じた。
「エックハルト文学における開かれた構造」、『Treff-Punkt-Sprache』 (広島大学大学院) 第4号(1986)、p. 60-75.
中世の宗教文学は例外なく「写本」という中間媒体を通して後代に伝えられた。それゆえ宗教テクストの価値には真贋性以上に、後代の説教者の実用性が重視されていた。改作・剽窃を許容するこうした中世の宗教文学の特性をU・エーコにならって「テクストの開放性」と呼ぶことができる。イーザーやヤウスの「受容理論」を援用しつつ、神秘思想の文学的価値が「受容者」の「理解」によっていたことを論じた。
「Das Wortfeld der Analogielehre Meister Eckharts. ― glîchnisse, bilde und bilden」、『独文研究室報』(金沢大学大学院) 第3号 (1986)、p. 43-91.
マイスター・エックハルトが中世哲学の支柱をなすアナロギー論をどのようなドイツ語概念で定義しているかを、現代言語学の「語場理論」によって明らかにした。これによって、1)ドイツ哲学の源流がラテン神学の影響を受けて形成されたこと、2)思弁的と呼ばれるドイツ語の論理性が、13世紀以降の神秘思想家の言語改革によって獲得されたものであることが明らかになった。