Ich bin steindumm

2014/07/25 ハリー・ポッターと金のなる木

 かけだしの魔法使いがさまざまな試練を乗り越えて一人前になっていく物語には一種独特な魅力がある。ル=グウィンの『ゲド戦記』はそうしたジャンルの物語の古典的名作だし、先頃他界したドイツの児童文学作家プロイスラーの『クラバート』は少年文学賞をとった逸品だ。そんな中で最も有名で、最もよく読まれたものがJ. K. ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズだろう。確かに優れた児童文学なのだろう。しかし本屋に新作が山のように平積みされているのを見るたびに、何か白々とした感情がわきおこった。また電車で小学生が食い入るように出たばかりのハリーを読んでいるのを見ると、溜息が出た。なぜか。それは、この一見純真そうなファンタジー本の裏側でどろどろした大人の欲望が蠢いているのが見え隠れしたからだ。ただの娯楽本ならまだいい。児童文学だということが気に入らないのだ。
 この本をめぐってはいろいろな逸話があった。日本で版権を手に入れたのは、大手の出版社ではなく、ほとんど個人経営に近い小さな出版社だったという話。その出版社を女手一つで切り盛りしてきた女性経営者にまつわる美談。離婚後やはり苦労して子育てをこなし、貧困からペン一本で 這い上がってきた作者ローリングと彼女との厚い友情等々。
  才能だけではなく、貧しさを知り尽くした人間の強さが読者を引っぱっていく強い原動力にもなっているのだろう。しかし時にそれは貪欲さに変身する。この本の新作が出版されるたびにイギリスの版元が、かなり強引な商戦を繰り広げたのは有名な話だ。初版で数百万部を一気に刷り上げ、それらはすべて買い取り、つまり書店は返品できない契約にしてしまったのだ。「ハリー・ポッターを店に並べたければ、割り当て分を売り切れるまで売れ」ということだ。書店は売れ残らないように、懸命に宣伝活動に精を出す。かくして子供相手の押し売り合戦が始まった。
  書店だけではない、商戦を仕掛けた出版社もまた商魂たくましい女性作家の標的となった。ドイツのシュピーゲル誌(2003年34号)に以前こんな記事が載った。ある日出版社に男がひとり訪れ、ハリーの売り上げ帳簿を見せるように要求する。男はローリングに雇われた調査員。印税を過小に報告していないか調べるために、作者は世界中の出版社に調査員を派遣し、抜き打ち検査をした。出版業界ではもちろんこうしたことは異例である。「ローリング調査団」はこうして全世界を駆けめぐり、「愛するハリー」に1セントももらさず売り上げを回収させたのである。
  身についた貧乏性というか、貧しさへの嫌悪からなのか、とにかくこの作家は金にうるさかった。4億ユーロ(約560億円)も資産があれば、この上何を・・・と思うのだが。
  さらにこの強欲精神は、日本版翻訳者にも乗り移った。スイスに住民票を移して、節税をもくろんだ先の女社長は35億円の申告漏れを指摘され、修正申告をして7億円を支払った事件は有名だろう。
  そしてハリーはいよいよ完結し新作が出なくなると、今度はテーマパークのアトラクションとして復活した。夢の世界に憧れてやって来た、あどけない子供たちの笑顔の向こうに、「金のなる木」に群がる、強欲な大人たちが見えるようで、何とも興ざめしてしまう。


  まったく「ファンタジー」的でない話をしてしまったので、口直しにもう一つ、「金にならないファンタジー文学」について。ハリー・ポッターと並び立つ、イギリス発の児童文学の雄は『指輪物語』であろう。いまでは映画『ロード・オブ・ザ・リング』の原作として知られるが、1954年の初版以来現在までに全世界で実に五千万部を越える売り上げをもつ超ベストセラーの古典である。しかしこの作品の映画化権を作者のトールキンはもっていなかった。世事に疎いオックスフォード大学英米文学科教授は晩年金に困り、映画にする権利をなんとわずか一万ポンド(現在の日本円で170万円ほど)で売ってしまったのだ。次々と映画化された古典的名作は彼には「金のなる木」にはならなかった。
  無欲の老教授と貪欲な女性作家と翻訳家。さて100年後にどちらの作品がまだ残っているだろうか。

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