Ich bin steindumm

2013/06/02 一遍聖絵の眼差し

 「一日中くもり」という天気予報が見事にはずれ、昼過ぎからまるで梅雨を通りこした初夏のようなすがすがしい天気のなか、国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)の春季企画展『一遍聖絵・極楽寺絵図にみるハンセン病患者 ~中世前期の患者への眼差しと処遇~』を見に行きました。国宝『一遍聖絵(ひじりえ)』がそのまま展示されるはずはありませんが、それでも精巧な復元画がみられることは貴重です。上人の生涯と布教活動を描いた絵巻がなぜこの資料館の特別展に展示されるかといえば、ここに数多くのハンセン病患者が描かれているからです。
 『日本書紀』にも白癩という名で現れるハンセン病は長らく「癩(らい)」といわれ忌み嫌われてきました。中世でも偏見や差別は今以上に過酷で、発病すると患者は家も故郷も追われ放浪するしかありませんでした。それはこの病が仏教の業病とみなされ、前世の悪行や不信心のせいで罹病すると考えられていたからです。不治の病にだけではなく、患者は彼の人間性をも否定する世間の過酷な眼差しにも苦しまなければならなかったのです。当時、貴族や金持ちの庇護を受けた官制の大寺院は鎮護国家の祈祷をおこなうことを旨とし、そうした人たちの救済に乗り気ではありませんでした。これに対し13世紀頃から末法思想の広がりと呼応して、新しい宗教的リーダーが誕生し、社会の最底辺で生きる人たちに積極的に救いの手を差しのべるようになります。法然、親鸞、日蓮といった鎌倉新仏教の開祖たちですが、その中でも一遍上人は被差別民や癩者に念仏の意義を説き、寝食を共にして各地を遊行したことで知られています。
 救済される貧民が仏画に描かれることはあったかもしれませんが、聖人と対等に貧民が描かれることが『一遍聖絵』や『一遍上人縁起絵』の特徴です。それほどこの絵巻では、貧民が存在感をもって生き生きと描かれています。着るものもなく半裸で地べたに伏している者。施しのお粥をすする者。いざりたち。彼らが飢えと貧困と病に苦しみながらも、生きる価値ある存在として聖人の生涯に大きな意味をもったことが示されています。その中でもとりわけ見るものの眼を引くのが白い頭巾で顔を覆った「犬神人(いぬじにん)」と呼ばれた癩者たちです。彼らは信者の輪から外れた、ずいぶん遠い目立たないところで控えめに、しかししっかりと一遍を見つめています。それは彼らの目線の先にある踊り念仏の派手なパフォーマンスとは対照的です。自分たちが「無縁」世界の住人で、とうてい陽の当たる場所には出られないことを知っているかのようです。

しかし癩者のこうした控えめな態度は、一遍の死で一変します。『一遍聖絵』の臨終の場面では、まるで堰を切ったように貧民も癩者も一遍の亡骸のもとに押しよせ、一般民衆とともに歎き悲しみ、それどころか彼の後を追って入水自殺をするものまで現れました。彼らは上人と完全に結ばれて一心同体となっていると信じ、死によって分かたれることなど考えられなかったのでしょう。これが仏教でいう「結縁」(けちえん)、聖なるものとの縁ですが、その縁はより本来的に「仏と貧者の縁」なのです。一遍と同じく鎌倉時代の僧叡尊や忍性が大寺院から離れ、社会事業に専念したのもそうした考えからです。彼らは貧民や癩者を、文殊菩薩が現世の艱難を知るために姿を変えて現れたものと考え、大規模な貧民救済事業を行います。無縁として生きる人々が実は最も高貴なものと有縁関係にあるという思想は、この時代の精神生活を厚みのあるものにしていました。
 こうした思想はキリスト教にもあります。それがとりわけはっきり現れているのが、フランス・アルザス地方の小都市コルマールColmarにある『イーゼンハイムの祭壇画』でしょう。グリューネヴァルトの作とされるこの見開き三面の祭壇画には、十字架上のキリストが描かれていますが、その体は発疹で一面におおわれています。それは、磔刑の苦しみもさることながら、奇形して崩れた肉体の痛みこそ、彼の受難の苦しみだといわんばかりです。16世紀にこの祭壇画が誕生した修道院は、中世に病人救済で活躍した聖アントワーヌ教団のもので、この傷だらけのキリスト像も当時の皮膚疾病と関係があると考えられています。医療技術がほとんどない時代、罹病者は巡礼地かこうした修道院で神の救済に望みを託すしかなかったのです。その中には癩者もいたはずです。イーゼンハイムの祭壇画の前にひざまずいて、醜く腫れあがったイエス・キリストの姿を眼にした彼らは、すぐその傍らで母マリアとマグダラのマリアが泣きくずれていることにも気づいたでしょう。イエスに注がれる三つの視線をみて、癩者は見捨てられていない自分を見いだしたのではないでしょうか。『一遍聖絵』の中で、一遍を凝視する癩者たちの眼差しにもまさにそうしたけなげな祈りを感じるのです。
 資料館にはその他にも常設展があり、日本におけるハンセン病患者の背負った過酷な運命と、彼らの救済に尽力した邦人や外国人の偉業が紹介されています。自分が健常者であることがただの偶然であることを知り、そうでない自分を想像することのできる貴重な時間をいただいたと思いました。

 

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