Ich bin steindumm

2014/01/27 「あなたはなぜ暴力をふるうのですか」

古賀 徹さんの新著『理性の暴力 日本社会の病理学』を読む人は、みないつの間にか自分の過去と向きあうことになる。著者が糾弾する暴力は、かつて自分も経験したものだという記憶が少しずつ甦ってくるからだ。それは悲しい記憶である。しかしその悲しみはやがて、自分は「被害者」であっただけではなく、「加害者」でもあったし、あり得るという気づきに変化すると、不安に変わる。わたしたちは、国や、組織や、学校や、家庭を愛し、愛国心や、愛社精神や、愛校心や、家族愛を当然の美徳としてもつ。それは生物が自然にもつ自己保存の本能に由来するもので、生き残ろうとする強い意志の表れである。その意志自体を否定することは出来ない。しかし「愛すること」が自己愛から発し、他者が存在しなければ、この愛は歪んだ暴力となる。国家も、組織も、学校も、家庭もすでに別に存在しており、愛国心も、愛社精神も、愛校心も、家族愛も複数ある。ということは愛という美徳は自己完結しておらず、必然的にライバルをもたなければならないということだ。かつてニーチェは「人がたくさんの徳をもたなければならないのは、重苦しい運命だ」と言った。たくさんの徳はそれぞれ自分の優位を主張して、殺し合いを始めるからだ。だからといって徳を放棄し、愛することをやめよというのではない。そもそもそれが運命である以上やめることはできない。であれば愛と徳の暴力を越えていくしかない。運命に身を任せないですむ唯一の道が、他者の声に耳をかたむけることである。これは隣人愛のような倫理的なものではない。他者から直に問われることだ。「あなたはなぜ暴力をふるうのですか」と。パウロがイエスに、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのだ」と問われたときのように。
 わたしは地元でも有名な教育困難校で中学時代を送った。荒れた学校には暴力が蔓延し、純真な小学生だったわたしたちはいきなり無法地帯に放り出されたような気がした。学校に行くとは、殴り合いをしに行くことだった。喧嘩は弱かったが、負けん気は強かったので、売られた喧嘩はすぐ買った。結果、たびたび鼻血を出して下校することになった。二年生になり、父の仕事の都合で転校することになったとき、内心救われたと思った。
 行き先は、山を切り開いた新興住宅地の中学校だった。入ってみて驚いた。教室に笑い声が響いていたからだ。いきなり殴られ蹴られるのが学校だと思っていたわたしには、笑顔で校内を歩く学生を見て、こんな学校があるとは正直信じられなかった。転校してすぐに同級生の一人が声をかけてきた。「シゲ」と呼ばれたその小柄な少年は人なつこい笑顔でわたしに、「どこから来たん?」と話しかけてきた。わたしは間髪入れず彼を怒鳴りつけ、馴れ馴れしくするなと言った。防衛本能からではない。それが当たり前だったからだ。あの頃のわたしにとって、人間には「自分より強いやつ」と「自分より弱いやつ」しかいなかった。オオカミような序列社会に生きてきたわたしには、「自分より弱いやつ」が強いやつにかしずくのは当たり前のことだった。
 都会から来た、喧嘩馴れした転校生には、この平和な学校は、まるで自分の意のままになる王国のような気がした。力で脅して子分を何人かつくるのにそう時間はかからなかった。暴力の被害者であったわたしは、こうして何の疑問もなく加害者に転じた。だがある日、シゲが友人の豊田英植を連れてわたしのところにやってきた。英植はずいぶん体格のいい、「自分より強いやつ」だった。わたしはすぐに事情をのみ込んで、身構えた。しかし意外にも英植はわたしに、「おまえ怖いぞ。仲良うせえや」と言った。シゲもおずおずと「仲良うして」と言った。拍子抜けするほど当たり前のお願いにわたしは膝から崩れおちそうになった。何かが自分から抜け落ちた。もう力に頼らなくてもよいということにようやく気づいた瞬間だった。
 この田舎の学校でわたしは平和な残りの中学生活を送った。シゲも英植も在日だった。差別されて生きることの息苦しさを知っていたのだろう。卒業して地元の高校に進んだわたしを二人は追いかけてこなかった。シゲとは、その後大学生になって実家に帰省したとき、地元のデパートで偶然再会した。エスカレータを登っていくと、上り口で相変わらず人なつこい笑みを浮かべて待っていて、「見かけて飛んできたんや」と声をかけてくれた。どこかの社長のような大きな真っ白いスーツに身を包んだ小男は、不格好でおかしかった。英植とはその後会うことはなかったが、わたしがドイツ留学を終えて帰国した頃、偶然目にした雑誌の記事で亡くなったことを知った。殺されたのだ。父親の土建会社を継いだ彼は東大阪市で家族とともに暮らしていたが、隣人とのトラブルに巻き込まれた。旧日本兵の老人は、土建屋のトラックが自分の家の前に停まっていることに腹を立て、隠しもっていた銃剣で彼を無言のままいきなり刺した。即死だった。暴力の愚かさを教えてくれた友人が、暴力にたおれた。犯人と向きあう時間があったら、英植ならきっと、「あなたはなぜ暴力をふるうのですか」と問うただろう。

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