Ich bin steindumm

2014/09/28 水底に沈む銀河鉄道

 首都圏のJRに乗っていて、「吾妻線運休のお知らせ」のテロップを見た。吾妻線は高崎駅から出て、吾妻渓谷をぬって走るローカル線だ。この渓谷の紅葉は有名で、それがもっとも美しいこの時期に、そしてもっとも美しい川原湯温泉駅からこの線が消えてしまうのは、何とも残念だ。紅葉狩りの楽しみを私たちから取りあげたのは、かつて有名になったあの八ッ場ダムである。
  もう二年も前のことだが、お気に入りの旅行ガイドブックを手に旅に出た日のことを思い出す。高崎から出たローカル列車はしばらくは左に榛名山、右に赤城山の勇姿に挟まれて進むが、やがて吾妻川に吸いこまれるように山あいを登り始める。お目当ては吾妻渓谷だった。
  川原湯温泉駅に着く。列車を降りると、すぐに異様な光景が目にとまる。真上にはいつかテレビでみたあの醜悪な橋脚が三本、まるで墓標のように駅にのしかかっていた。ここは八ッ場ダムで水没する川原湯地区の真ん中にある駅。乗降客はなく、天を仰いでシャッターを切る私に目をとめる人もいない。川原湯温泉は草津温泉の上り湯として賑わったかつての湯治場。シーズン外れとはいえ、もう少し観光客がいてもおかしくはないのではないかと思いつつ、改札をぬけると、その理由がわかった。駅前がない。ガイドブックには存在する食堂もない。道行く人もいない。国道を行く車もバス停もない。まるで舞台の書き割りのように、駅だけが打ち捨てられて残っている。古いガイドブックが紹介する川原湯は、二〇年の歳月にすべてをさらわれてしまったのだ。それでも気を取り直して、どこかで昼食をすませて街を散策してから宿に入りますと、旅館に電話をすると、ご主人がすぐに車で迎えに来てくださった。呑気な旅行者に、「ここには食べるところも、町ももうないですよ」と苦笑いされる。まるで閉店寸前のスーパーに入ったような気分。そう、水没する町は明かりを落として、静かに最後の時を待っていたのだ。
  川原湯温泉・山木館は352年の歴史をもつ旅館。立派なのは門構えだけではない。時の流れに磨かれた黒光りする柱や調度、迷路のように増築されていったいくつもの湯場は、建築物が生きていることの証しだ。その命を行政は、無理矢理奪おうとしていた。水没するのは老舗旅館だけではない。源頼朝が開いたという「王湯」(2014年6月30日にすでに閉鎖)も、かつて地元の若い衆が盛り上げた「ゆかけ祭」も水の底に沈む。旅館を出て、吾妻川沿いを散策してみる。人影の絶えた村には、廃屋と家の基礎しか残っていなかった。道端の愛らしい夫婦神の道祖神は誰かがダムの上にまで引き上げてくれるだろうが、有名な臥龍岩や不動の三滝はここで村と運命を共にするしかない。JR吾妻線もその一つだ。
  夕食に帰ると、山木館のご主人が、「窓から銀河鉄道が見えますよ」と教えてくださる。何のことかわからなかったが、日が暮れるとその意味がわかった。打ち棄てられて灯りをなくした村を、三両編成の電車がときどき煌煌と光を放って走っていくのが高台の宿から見えるのだ。それはまるで漆黒の夜空を飛ぶ銀河鉄道のように鮮やかで、感動的だった。生活の最後の重石が除けられて、浮遊する無重力の空間となった闇の中を、光の帯が静かに渡っていた。
  今月26日を最後に銀河鉄道はこの温泉村から消えた。日本一短い樽沢トンネルもただの空洞と化し、その下に広がる吾妻渓谷も、人目に触れることなく毎年色づくのだろう。吾妻線の最後を看取りに訪れた人たちは多いだろうが、長い歴史にとどめを刺したのが、人間の巨大なエゴイズムだったということも忘れてはならない。ダムに呑まれずにかろうじて生き残った、鹿飛橋の孤独を少し感じた。