Ich bin steindumm

2016/03/27 震災の遠い記憶

  東日本大震災から5年が経っても、いまだに棘のように心を刺す想い出がある。東京の大学の教員であるわたしが、あの地震と津波を直に体験した人たちと共有できる体験などあるはずはないが、ささやかなりともできたはずのことが、できなかったことへの悔いは残る。

 

慶應義塾大学には通信教育課程があり、多くの方が在籍されている。通学生と違い、自宅で教科書を片手に自習し、期日までにレポートを作成して郵送し、それをわたしたち教員が添削し、成績をつけて返却する。もちろん被災した東北地方にも多くの通信生がいらっしゃった。震災からまだ間もない頃、あるレポートを添削し終えて、返却しようとした時、普通はそうしたことをしないのだが、ふと提出者の学生の住所を見た。「福島県南相馬市原町」とあった。思わず息を呑んで、レポートの提出日を見た。「3月6日」。震災の5日前だ。喉の底が涸れて、息が苦しくなった。この通信生はその数日後に未曾有の大災害が自らを襲うなどとは知るよしもなく、このレポートを書き上げ投函した。まさか助かったのはこれだけだったのか。おそるおそるネットで「南相馬市原町」を検索すると、津波の被害を受けて町全体が大きな被害を受けた地区だということがわかった。その当時は町ごとに被災者情報が掲示され、死亡者の名簿もわかるかぎりで掲載されていた。祈るような気持ちで名簿を見てみる。ない!その学生の名前はなかった。わたしはその瞬間何か重い義務から解放されたかのような気がして、ゲーテについて書かれたレポートの講評欄に、「このたびは大事ございませんでしたか」と書き加えた。大事ないはずはない。それが何の意味もない言葉であることを知りつつ、わたしにはそれ以外にできることはなかった。

 

その翌年の2月におこなわれた大学院の修士課程の試験で、わたしのところで勉強したいという受験生に出会った。出会った、という表現は正確ではない。なぜならその方は一次の筆記試験で落ちてしまい、二次の面接で顔をあわせることもなかったからだ。筆記試験の成績も印象的だったが、その方がわたしの専門とはまったく関係ない、「テオドール・シュトルム」の研究を希望していることが不思議だった。シュトルムは19世紀のドイツの作家で、代表作の『みずうみ(イムメン湖)』は、戦前の旧制高校の学生なら必ず知っているといわれたほど日本人に愛された短編小説だ。もちろんシュトルム研究者ではないが、わたしも彼の短編の愛読者だ。しかし、なぜそれをこの受験生は知っているのか、もしかするとわたしの知り合いなのかと、怪訝な気持ちでその受験生の履歴書を見ると、そこには被災地の仮設住宅の住所が書かれていた。震災から一年近くが経ち、いまだ仮設住宅で生活しながらこの方はわたしのところでシュトルムを勉強しようと上京してきたのだ。その辻褄が合わない動機に、なにか困難を突破しようとする、尋常ではない情熱を感じた。しかし試験の成績は、そうした情熱だけでは大学院で勉強できないことを残酷にも示していた。「リチャード・ワーグナー」という答案に誰かが笑った。わたしも苦笑した。「前代未聞ですね」と誰かが言った。わたしもそう思った。

震災の年の8月にわたしは通信教育部の夏期スクーリングで「ドイツ文学」の授業を担当していた。そこでお気に入りの『みずうみ』を取りあげた。幼なじみのラインハルトとエリーザベトは幼な心に慕いあい、将来を誓ったようにみえたが、やがて年頃の男女となると、すれ違い、たった一通の手紙が書けなかったせいで、結ばれることなく別れる。哀愁ただよう悲恋の物語は聴講者に大きな感銘を与えたようだ。もしかするとこの受験生はそのことを人づてに耳にされたのかもしれない。その後も、実らない恋の物語を、仮設住宅の不自由な生活の中でひもといて読んでいらっしゃる姿を想像すると苦しくなった。指導はできなくとも、何とか勉強のお役にでも立てないか。そう思いたって、その方の住所なりとも教えてもらえないか、と大学の入試部に相談に行ったところ、「個人情報は出せない」とにべもなく断られた。当然だろう。入試業務のセキュリティーは大学でも特に高い。しかし本当にそれで納得してしまってよかったのか。

 「大事ございませんか」であれ、「前代未聞」であれ、「個人情報」であれ、人は納得いかない感情を言葉にして、呑みこんでしまう。それは無理な願いだと自分に言いきかせるのに、言葉は便利な道具だ。むしろ言葉は不便に使うことで、人と人をつなぐものなのかもしれない。このお二人がわたしの悔いに気づいてくださることはないのだろうか。

ページトップヘ