Ich bin steindumm

2020/07/08 「僕もとても、愛していたよ」 ―― デュークとごん狐

 

もうずいぶん昔の話だが、大学センター入試の「国語」の入試問題に江國香織さんの『デューク』という短編が出題されたことがあった。わたしはたまたま試験監督で立ち番だったので、(本当はいけないのだが)、見回りをしながら読んだ。

泣いている「わたし」が主人公だ。泣いている理由は、愛犬のデュークが死んだからだ。「わたし」はアルバイト先に向かうが、泣き止むことができない。満員電車の中ですすり上げていると、目の前に座っていた男の子が席を譲ってくれる。電車を降りても、少年は何も言わず、クリスマス前の冬の一日「わたし」の傷心旅行につきあってくれる。喫茶店でオムレツを食べ、プールで泳ぎ、アイスクリームをなめ、美術館をたずね、寄席で笑った。「わたし」の悲しみは少しずつ癒えていく。日が暮れた。別れの時が来た。「今までずっと、僕は楽しかったよ」「そう。わたしもよ。」そして、少年は「僕もとても、愛していたよ」と言い残して夕闇に消えていく。

こんなロマンチックな物語が、国立大学の入試問題に採用されるのかと驚いた。おそらく勇気ある出題委員が頭の堅い委員たちの反対を押し切って、強く推したのだろう。「選抜試験は、読解力をとおしての知力の測定であり、感情の測定ではない」と、もし委員が言い出したら、誰も黙るしかない。知力は正解を限りなく一つに絞ることができるが、感情はそれをさまざまな光彩を放つプリズムのように拡散させる。必然的に、無味乾燥とした評論や、解釈が確立した文豪の名文が問題に選ばれる。その何年か後に、小林秀雄の「鐔(つば)」という意味不明な評論が出題され、高校生たちを煙に巻いたのをみたとき、入試問題とはやはりこういうところに落ち着くのだと、がっかりした。

わたしの勤める大学にも「論述」という試験科目があり、論理的思考を測定する長い評論文を読ませるが、設問は「課題文を読んであなたの問題として論じなさい」というような、比較的自由な作文も要求する。それを何百枚も採点するのはなかなか大変だが、量的な問題よりも、解答がどれも同じようなもので優劣つけがたいときがいちばん悩ましい。受験生はそれぞれ違った経歴をもち、違った環境で生きていているはずなのだが、「経験値」の幅は意外に狭く、同じような刺激に同じような反応をしがちである。答案から読み取れるのは、彼らが同じようなドラマを見て、同じようなネットの記事を読み、同じような日常を送っているということだ。そこから作られたに狭い経験値は、論理的な記述を求められるともっと狭くなる。本当は江國香織さんの『デューク』にほろりとするはずの高校生が、使いなれない生硬な言葉を選んで背伸びをしてみせる。しかし、文学の楽しみは「答え」を言い当てることではない。「オチ」ではなく、そこに向かうまでの、しばらくのはらはらどきどきが楽しいのに、教科書は最後からさかのぼって物語を読み直そうとする。少年がデュークだったと結論づけてしまっては、物語の面白さは半減する。

小学校から高校まで「国語」の教科書にとられた物語は、おおむねこうした終わりから読むと答えがわかるように仕掛けられている。それらを選んだ、おそらく人生の先輩を自称する年配の教師は、まだ人生のとば口にたったばかりの若者に教えを垂れるつもりだったのだろう。思えば、おかしな作品ばかり読まされた。

『徒然草』で読んだのは第11段。兼好法師が苔むした道を踏み分けて山里に入っていくと、一軒の庵を見つける。こんな辺鄙な土地に静寂を求めて住んでいる人もいるのだといたく感動していると、裏庭に蜜柑の木があり、厳重に柵をして囲ってあるのを見て、庵の主の物欲を見たような気がして、一気に興ざめしたという話。ロマンのかけらもない。

漢文の教科書で読んだ、釈月性(しゃく・げっしょう)の漢詩。

男児 志を立てて郷関を出づ
 学若(も)し成る無くんば死すとも還(かえ)らず
 骨を埋(うず)めるに 豈(あに)期せんや墳墓の地
 人間(じんかん)到る処(ところ)青山(せいざん)あり

「男児たるもの志を立てて故郷を出たからには、おめおめと帰ってくるな。この世にはいたるところに骨を埋めてもよいような青い山がある」という意味だが、この詩の選者は、教室に女子生徒もいることを考えなかったようだ。勉強と死を結びつけるロジックも時代遅れだし、老人の人生観のお仕着せのような課題文だと思う。

確かに、高村光太郎の『智恵子抄』や、森鴎外の『高瀬舟』や、ゲーテの『魔王』や、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』や、志賀直哉の『城之崎にて』や、何かわたしたちの世代の教科書には「死臭」が漂っていた。

その最たるものが夏目漱石の『こゝろ』だろう。構成も不自然で、文体も決して洗練されているとはいえないこの作品が漱石文学のなかでこれほど知られているのは、国語教育のおかげだ。

前半は、「私のようなものが世の中へ出て、口を利いては済まない」と自嘲する「先生」の物語。長年つれそった妻もその言葉の意味を測りかねている。(そんな夫婦がいるとすれば、そのことこそ問題だ。)その理由が明らかになる後半の「先生と遺書」では、先生は突然死ぬことにして遺書を私に託す。そこで明かされるのは、先生が書生時代、親友のKを出し抜いて下宿先のお嬢さんに求婚してしまい、それを苦にしてKが自殺したという事実。先にお嬢さんへの恋心をKは「私」に打ち明けるが、逆に「私」に「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と突き放されて、「僕は馬鹿だ」と認めざるを得なくなる。その後、親友の抜けがけを知って、隣室でひっそり動脈を切るという展開はあまりに陰うつだ。それに加えて、先生がそれから数十年を経た今になって自殺するのも不可解だ。自殺を美化するような主張には反発を感じるし、そもそも結婚や恋愛を、精神的向上心の欠如と考える恋愛観など、今の若い人にとってどんな意味があるのか、まったく理解できない。

同じくネガティブ志向の教科書物語として有名なのが、ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』と題された小品だ。

少年の「僕」は蝶の標本を集めるのが趣味だが、隣に住む級友のエーミールのコレクションにははるかに及ばない。ある日、彼がクジャクヤママユ(Nachtpfauenauge)という希少種の蝶を手にいれたことを聞いて、矢も楯もたまらず、見せてもらいに行くと、留守で彼の部屋には標本が置いてあった。あまりの美しさに思わずそれをポケットに入れると、こっそりもち帰るが、やがて良心の呵責に苛まれ、翌日正直にエーミールに返そうとするが、蝶の標本はこなごなになってしまっていた。有名なのは、すべてを知ったエーミールが僕に言う、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」という冷ややかな一言だ。怒鳴られ、面罵されればまだ救われたが、この軽蔑に満ちた言葉で「僕」は蝶の収集をやめてしまう。

おそらく誰もが知っているこの物語を、しかし本国のドイツ人たちはあまり知らない。ふたつある定本ヘッセ全集には収められていない。日本ではそれと正反対に、5社ある検定教科書のうち4社で中学一年生の「読み物教材」として掲載されている。残り1社にしても、2002年度版の教科書の資料編として掲載していることから、日本のほとんどの中学生に馴染みのある教材なのだ。なぜそこまでこの教材に国語教育はこだわるのだろう。指導要領は、「自己を認識する姿を学ぶ」ことなのだそうだ。エーミールの軽蔑の視線にさらされた「僕」に自分の姿を重ね合わせてみよう、ということなのか。そんなことをしてどうなるのだろう。

不思議なことにわたし自身はこの物語を知ってはいるが、授業で読んだ記憶がない。しかし、学生たちに聞いてみると、みなくすりと笑って、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」という、あの決めゼリフを言ってくれる。ドイツ文学でもっとも知られた名言といえるのではないだろうか。原文はSo so, also so einer bist du.で何の変哲もない一文だが、やはり高橋健二訳の魔力というべきなのか。

このヘッセのネガティブ・ストーリーの日本語版は芥川龍之介の『トロッコ』だろう。村はずれの工事現場に置いてあるトロッコにどうしても乗ってみたい良平はあるとき二人の親切な「土工」にトロッコに乗せてもらい遠出する。ところが土工はいつまでたっても帰るそぶりを見せない。もう日が暮れて一人で帰ることもできないところまで来たとき、さっきまで親切だった土工はすげなく良平に、「お前はもう帰んな。おれたちは今日は向う泊りだから」と言って、さっさと行ってしまう。

この人間不信に陥りそうな物語は、昭和12年発行の義父の中学の教科書(岩波書店版)にすでに掲載されている。これがそこまでして児童に読ませなければならない物語なのだろうか。「お前はもう帰んな」というセリフは、「君はそういうやつなんだ」と同じくらい、冷たく救いがない。

日本の国語教育が愛する「死の物語」の最高峰はやはり、「ごん狐」だろう。ただしこの物語には死臭がしない。作者の新美南吉は29才で結核で夭折した作家。『ごん狐』は18歳の時、故郷の小学校の代用教員をしていたときの作品だ。

いたずら狐のごんはある日、村の若者兵十(ひょうじゅう)が、病いに伏している母親のためにとったウナギを盗みとる。そのあと兵十の母が亡くなったことを知ったごんは、罪ほろぼしに兵十の家に栗や松茸を届けてやるようになる。

わたしがこの物語を知ったのは小学3年生の頃、国語の教科書でだった。まだ子どもが小さかった頃、そろそろよい年頃かもしれないと思って読んでやったら、「もう何度も聞いたことがある」と言われて、がっかりした。だったらという気持ちで、最後の一節、「青い煙が、まだ筒口から細く出ていました」はどういうことなの?と聞いてみると、ぽかんとしていた。これは小学生のわたしたちに、読み聞かせた教師がした質問でもある。もちろんわたしもぽかんとしていた。細い青い煙の意味がわかったのは、ずいぶん後になってからだ。

しかし、そんなことわからなくともよい。この物語でいちばん素敵なのは、月明かりの秋の夜、松虫がチンチロリンと鳴いているすすき野をごんが兵十と加助のあとをこっそりつけていく場面。最近不思議なことがあるんだ、と栗と松茸の話しを切り出した兵十が、加助に「そりゃあ、神さまのしわざだぞ」と言い含められてしまい、自分の献身が認めてもらえないごんが、こいつは引きあわないなと思う場面。生き物も神さまもみな調和して、平和に生きている村の風景が懐かしい。

18歳の青年の書いたこの童話は悲しい物語だが、何か明るさをもっている。目を閉じて黙ってうなずくごんはどことなくデュークに似ている。アニメーション作家の八代健志さんが作った『劇場版ごん Gon, The Little Fox』がまもなく封切りになると聞いた。

「僕もとても、愛していたよ」で終わるような物語を若い人には読んでもらいたい。

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