Ich bin steindumm

2021/04/30 緑の午後のレストラン

 

人間ドックを受ける。五体きわめて健康。ただ肺に所見があった。「腫瘍ではありませんが、気になる影があります。専門医に精密に診察してもらったほうがよいでしょう」とのことだったので、大学病院の呼吸器内科に予約を入れて、受診した。呼吸器内科・・・妻は腫瘍内科の誤診で亡くなった。最初に、呼吸器内科の所見をもらっていれば、病気の進行はまったく変わっていたかもしれない。・・・そんなことを考えながら、代々木で中央線に乗り換え、ぼんやり車窓の景色を眺めていた。いつもは新宿御苑の森を見ながら数駅を過ごすが、今日は反対側の殺風景なビルの群れを見ていた。と、どこかで見た通り、新緑の並木道、高速道路下の駐車場・・・千駄ヶ谷、そうだここに妻と食事に来たことがある。国立がんセンターでセカンドオピニオンをもらった、その日の午後のことだ。

あの日、慌ただしく診察室に入ってきた医師は、「送ってもらったCT画像のデータが大きすぎて読み取れない」といらだった様子だった。時計を気にしている。「でも、だいたいのことはもうわかっていますから」と、データなしで診断をはじめる。「治験は今はない。」「この先半年もない。」「今の抗がん剤の次はない。」・・・「ない、ない」ばかり。妻はうつむいてしまった。
 何のためのセカンドオピニオンなのか。ロビーの隅の粗末なカフェーで二人でコーヒーをすすりながら、「診断のアンケート」に記入する。「最低!データを見てから診断しろ!」
 悄然としている妻を見かねて、「ヴェルデュリエに行こうか」と誘う。ヴェルデュリエは、私たちが住んでいる町にむかし店を構えていたレストラン。小さかったが、京都生まれのシェフの腕は一流で、平日のお昼にふたりでランチをしに行ったことがある。今は、千駄ヶ谷に店を移して営業していると聞いていたが、なかなか足が向かなかった。こんな気分のまま帰ることはできなかった。車を高架下のコインパーキングに入れて、あちこち探して、ようやくビルの地下に見つけた。ここには、あのころの幸せな思い出の残り香がほのかにある。
 妻はステーキ、僕はかも肉のコンフィのコースを注文する。平日の午後、もう一組と私たちだけの空間。ヴェルデュリエ・・・フランス語で「緑の料理人」とでも言うのだろうか。以前の店はその名の通り、森のそばにあった。今はビルの谷間。言葉少なに、僕は「あのころも平日の午後だったよね」「自転車をこいで行ったね」「ワインが美味しかったね」「シェフが家主と喧嘩してさ」と、「あのころ」のことばかり話す。今のことは話せない。7月の午後。吹きぬけから差しこむ緑の日差しがテーブルに陰を落としている。その向こうで、ぼんやりと宙を見つめる妻の視線の先に、未来は見えていたのだろうか。

 

大学病院の呼吸器科医の診察は丁寧。CT画像の見方を細かく説明してくれた後、「右肺上部にわずかに炎症の痕があります。重大ではありませんが経過観察をしたほうがよいでしょう。」妻と同じ右肺・・・でも大丈夫と、安心した反面、なぜ自分には妻と同じ運命が待っていなかったのだろう。なぜ自分ではなく、妻だったのだろうという思いに胸を突かれる。幸運と不運を分けるものは何なのだろう。
 あの日帰って、妻は洗濯機の前で泣いた。「みんなで一緒にいたかったのに。」――あまりに悲痛で返す言葉もなかった。ただ、「今日も明日も一緒にいてやる」としか言えなかった。それがいつまでなのかわからないまま。

 

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